いまどき年齢を訊くのって、誰が上で下かって上下関係を確認するためじゃない。どちらかというと、生きてきた時代を年齢で確認してどういうカルチャーを経験してきたか、流行ってたアニメやファッションやポップスや時事ネタを共有するなど話題を探したり、どういうバックグラウンドで育ってきた人かを推しはかるためだと思う。
あとは身体能力かなぁ。ある程度、歳をとると体力や諸々衰えるので身体状態を年齢で推しはかる気遣いもある。
『年齢』は記号みたいなものだ。生きてきた時代や身体能力の参考指標でしかない。そして、年齢によって上下関係を形成するのはナンセンスな次元にきている。むしろ新しいサービスや商品をつくるときには、デジタルネイティブな若者に学べという風潮さえある。
その背景にインターネットの普及が大きく作用していると私は思っていて
しかしながら年の重ね方もバカにならないよとも思っていて
今回はそういう雑記です。
情報格差と上下関係。
情報格差と上下関係は多少連動していると思います。
誰がえらいか否かは、利害関係から考えると有益な知識や人脈の多い少ないで判断され
教えを乞う相手を敬う上下関係が生まれてきました。
昔は、情報を得る手段は本や人間関係などに限られました。
本を買えるか否か、図書館に行けるか否か、どういうひとと知り合いか、など
経済力、行動範囲、人間関係の差異で獲得できる情報の層は年齢によって異なり
年齢を重ねて得た経験や人脈は、大きな情報資産として認識されてたはずです。
現代では、アクセス環境さえあればインターネットで様々な情報を垣根なく入手できます。
無償の情報提供ばかりではないけど、前よりコスト低く情報を得られるし、自分の発信や検索の工夫次第で貴重な情報やつながりや経験も得られます。年齢を意識させないネット上の人格も作り出せるし、物理的距離を超えたやりとりも容易、いろんな物事の体験談やTipsも載ってるし読める。
となると、年長者が担保していた経験や人脈など諸々の情報格差を
優れたWebネイティブ世代の若者が情報獲得・処理能力を持って、ひょいと乗り越えてくることだってある。
情報を獲得する貪欲さと、応用する学習能力と、情報を取捨選択していく感性と
流行に敏感なカルチャーセンスが、若者の体力と無邪気さと合わさると物凄い。
根拠が曖昧でも嗅覚でイケると思ったアイディアを躊躇なく発信しテストマーケティングする先進的なWebネイティブ世代は
膨大な情報量を創意工夫して裁き、『いま』を自由自在にサーフィンします。
年齢による情報格差がインターネットの使い方で消失するいま、安易に年齢=上下関係と考えていては、破綻するでしょう。
昔の年功序列=築いてきた人間関係+獲得してきた情報量の多少
なのであれば、人間関係は一朝一夕で形成し難いものの、情報量の多少はいま簡単に個人の能力でひっくり返ります。
また、次の時代をかたちづくるのは、どこかから抽出した確固たる根拠や裏付けじゃなくて、大量の情報のシャワーを浴びた混沌から出てくるアイディアと、その種を小さくても育てながら、つどつど情報を聴取して進路を決裁できるしなやかさだとも思っていて、
年齢に関わらずそれができるひとは強い。
年齢によるアドバンテージって何?
これはほんとに、自問自答していることで。
生きている時間が長いことが、まったく肥やしにならないとは言い難い。
年齢によるアドバンテージを発揮するには生き方が重要なんだと思う。
いろんなひとと適切な人間関係を築いて恩送りをしていたら、自分の思っていることが実現しやすくなるし、生きていくのに困らないでしょう。
いろんな体験、試行錯誤やトライ&エラーを経験して学んでいたら、次の経験やアドバイスに活かせるし判断の精度が良くなるでしょう。
あと、感情かな。体験してみないとわからないひとの感情だってあるし、自覚をもって経験していたら、ひとを思いやって接することができるんじゃないだろうか。
あとは、財産かなぁ。
なんて、私はまだまだ道半ば。
平均寿命で考えると10年以内に人生の折り返し地点に到達するから、年齢=上下関係や権威ではないことを自覚しながら、しなやかに生きていきたいんです。
あなたは年齢をどのように捉えますか。
ドラマや漫画もそうだし、高校野球やオリンピックのような話題は、世代によって「受ける部分」が違うから、営業場面においては相手の年齢知るのってツカミ部分に影響する。住まいや暮らしにおいては大事にしているもの、価値観なんかも世代で変わるので、顧客をカテゴライズするって意味で年齢って大事なんですよね。
確かに上下関係ではない。