『観光立国』が大きく主張されるようになって約30年。
2003年に『ビジット・ジャパン事業』が開始し、2006年12月に『観光立国推進基本法』が成立。観光庁によると、1989年に年間284万人だった訪日外国人旅行者数は2018年に年間3,119万人となりこの30年で10倍以上に増えました。
そして2020年に、コロナ禍が来ました。
コロナ禍という未曽有の災害があったからしょうがない部分は理解しながらも
いまや財政破綻が叫ばれる京都に6年、そして昔イギリスに5年間住み、過去世界20ヶ国50都市以上訪れ、比較的頻繁にあちこちに旅行や出張をする身として、観光業について考えるところをここに記します。
観光業とは
各種辞書を参照すると、観光はもともと「日常の生活では見ることのできない風景・風俗・習慣などを見て回る旅行」を意味しましたが、近年旅行が快適で安全になるにつれて「楽しみのための旅」全般を指す言葉として広く使用されています。
観光庁の統計では、余暇・レクリエーション・業務などの目的を問わず、1年を超えない非日常圏への旅行を指すそうです。
私の言葉で定義しなおすと、「とある地域に人々が興味を持ち、その地域に住んでいない人が訪れること」でしょうか。昨今ではワーケーションもありますし、出張かそうでないかの境界線も曖昧なように思います。
観光とは「とある地域に人々が興味を持ち」の部分がミソです。興味の無い場所には、いくら逆立ちしたって訪れません。
観光業は「その地域に住んでいない人が訪れること」に付随する手段や体験コンテンツ提供でしょうか。
ホテルなどの宿泊場所の提供や、観光目的の方のための移動手段の提供、その地域を一時的に訪れる方向けのガイドや体験コンテンツの他に、その土地に訪れる前のオンラインや各種メディアからの情報提供も観光業に含まれるかもしれませんね。
観光で街を活かすこと、殺すこと。
観光業強化で見込めるメリットは、沢山の旅行客が来ることで宿泊・運輸・飲食・旅行業など様々な分野での経済波及効果が高いこと。外国からの観光客は外貨獲得にもつながります。さらに世界各地から集客した観光客は国内景気に左右されにくく、観光地が好印象だった場合、現地の特産品の購入にもつながります。
観光立国は、良いことづくめに見えますが
私は財政破綻の危機にある京都に住んでいて、観光業を強化するあまりに観光の空洞化が進むことを危惧しています。
例えば、観光業振興のためにホテルや民泊を京都市内に積極的に増やすと、市内で暮らす場所が少なくなります。また、京都市内でホテルを開業したら儲かるとなると、資本力のある多数の地域外の事業者がホテルを建て始め、地価の高騰で土地を高値で手放す人も出てきました。
京都市内の住民や事業者の入れ替え、新陳代謝が起きたと捉えるとポジティブになれるかもしれません。
ですが、地域在住人口が減っては生活に付随するお店や施設も廃れる。地域在住者の育む特有の文化が廃れると、他の地域との違いが曖昧になり、観光の起点である興味を持たれにくくなるのでは、と思います。
圧倒的な自然の景観や史跡がある場所は、観光に際して地域文化云々は関係ないかもしれませんが、「観光客向けのお店」がたまに揶揄されるのを聴くと、観光に来たからとて「観光客向けのお店に行きたい訳ではない」というニーズも見え隠れします。
京都の一大イベント祇園祭も、対象地域の住民や事業者の担い手参加不足が問題です。祭りの担い手不足は対象地域の住民の流出が問題となっており、観光関係の外部資本の過剰流入も一因でしょう。地域外のひとを巻き込むなど新しい手立ての検討も必要ですが、過剰な観光業が地域文化が衰退する結果を招くこともあるのではないでしょうか。
観光を主力産業にせず、付随産業に。
ちょっと大袈裟にネガティブに表現したかもしれませんが
観光業で、多くの人に地域に興味を持ってもらう。そして来てもらう、飲食や買い物をしてもらう。もしかしたら、知ってもらってから移住してもらう商いをしてもらう、のも大事ですが、これらは地域に根付くものを尊重してこそだと思うのです。
観光優位、見世物優位の街づくり、産業づくりをしていては、街がからっぽになっちゃう。
何かに付随して、その土地のことを知りたい体験したい、という動機の元に成り立つのが一連の観光行動です。例えば、美食の街として名高いサンセバスチャン、様々なテック企業が集まるサンフランシスコやシリコンバレーなど
「とある地域に人々が興味を持つ」には、地域色醸成があってこそで、地域色醸成にあたり地域外の親切なコンサルは優先事項ではありません。地域外の力は、集客や説明の伝達、価値提供の工夫など手段の部分で借りればよくて、そのお商売が観光業でしょう。
地域色はその土地で生活を営む人で育むものだし、土地や地域文化の要を外部に受け渡したり判断をゆだねていては、長期目線で見ると地域が貧乏になるのでは、と私は危惧します。土地に関しても持ち主と使い手が分離していては、長期的な地域特有の文化は育まれにくいでしょう。外部と地域在住当事者では、関わり方の性質がまったく異なります。
観光は手っ取り早い資本の流入かもしれない。
けれども、その下敷きに脈々とした土地の文脈があるものだから、観光業を利用しつつ地域資産を育てる産業を忘れてはならないと思うのです。
だから、観光立国ではなく観光補助国。
その土地の「光を観る」を利用して、長期的な地域資産をつくっていきたい。