最近、つい半月前まで友人と飲んでるときに話す鉄板ネタは
「私にもついに『推し』が!(できた)」でした。
それまで私は推し活に共感できず、ただ熱心な推し活実践者の友人の心情や行動原理に興味深く耳を傾けるばかりで
美容院で手にする雑誌の推し活を推奨する特集を見るたびに、他人が推奨するのもなんだかなぁと冷ややかに見ていました。
けど、状況が一変したのが今年の八月。二十年以上ぶりに動向を追っちゃう推しが数名できました。
ひとりは、とあるアーティストの方。
2020年のコロナ禍にYouTubeで様々なカバー曲を歌う動画を見かけてからよく視聴していていいなぁと思っていたけど
『推す』きっかけになったのは、コロナに罹ったアーティストの代打として急遽出演したフェスの配信。たった三日前に決まった代打なのに、出演がかなわなかった複数のアーティストのカバー曲を仕上げてきた姿に心を打たれ
あれよあれよという間に、専用アプリのダウンロード、スタジアムライブに参戦していました。
もうひと方は、地上波のテレビドラマきっかけで結成されたとあるアイドルグループ。
こちらもYouTubeで流れてきたオーディションや初顔合わせや本読みやダンスレッスンや衣装合わせの様子などをかいつまんで追ってたら、メンバー7人のバランスの良さやキャラクターに引き込まれ、あれよあれよという間に有料の写真展に行ったり、SNSでの動向を追ったり、グッズの購買を悩むまでになりました。なんと。
で、これから書くのは、
ひさしぶりに『推し』なるものができて、推し活なるものをしてみた私の所感。
推しは恐ろしいほどにビジネスになるし、恐ろしいほどに権力を持つ。
デジタル大辞泉(小学館)によると『推し』とは「人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物」とのこと。主にアイドルや俳優について用いられる日本語の俗語だそうです。
で、私の所感をひと言でいうと、推しは恐ろしい。その理由は下記に。
推しの破壊力
推しは人間。最初はその人に関連する創作物(歌やグラビアや動画配信等)に好感を持ち、それらを追っていくうちにその人物の人間性もまるごと好きになる錯覚を持ち『推し』が誕生します。
人には長所も短所もあってしかるべきだから推しの魔法にかかると、人にも薦めるほどだから多少の凸凹があっても『推し』を全肯定してしまう。一種の思考停止状態にも陥りかねないんじゃないかな。推しの中毒性
いまの時代、情報はいくらでもつくれます。ファンは推しができると、推しにまつわる情報のなるべく全てを把握しようとするし、そして情報は量産される、のループ。
各種SNSでの写真や動画や投稿、雑誌でのインタビュー記事、各種イベントやライブ参加。その人にまつわる情報を浴びれば浴びるほど、時間や手間暇をかければかけるほど、『推し』にはまる罠がある。もっとイベントやライブに参加したくなるし、もっとその人を応援したくなるし知りたくなる。中毒になっちゃう。推しは経済を活性化させるが、どうなんだろう。
いわずもがな『推し』ビジネスは儲かります。熱心なファンが多いと『推し』の一挙手一投足が売れる。
関連する創作物だけでなく、雑誌やオンラインサロンやファンクラブなどの情報が売れる、食べているものをなぞったり行った場所の聖地巡礼もされる。クオリティに拘わらずグッズや着ているものが売れる。
『推し』は明らかに経済を活性化するけど、この時間やお金の使い方はサスティナブルで発展性があるだろうかと、私は推しビジネスを見ていてふと我にかえったりもします。推しは特定の人物に権力を持たせる
で、上記3点を踏まえると『推し』の爆誕は、よっぽどのことがない限り言動を全肯定しちゃうし、情報に中毒性があってフォローしちゃう&ますます好きになっちゃうし、お金も『推し』に集まる。
数万人以上のファンがいたら、選挙制度を考えると国会議員になれるし、宗教なら教祖にもなれる。
「『推し』はときめきをくれるし、健康に良い」説もあるけれど
それで、いまさえ良ければ、心が満たされれば、とズブズブとはまった先に
危なさを感じるのだけれどもどうだろう。ビジネス的に儲かって、ファンは心が満たされて、で一応両想いだもんなぁ。誰も日本の未来は…だなんてカタいことを憂えたりはしない。
推しがいることで心理的に救われる人もやる気が出る人もいるだろうから全面否定はしないけれども、加熱する『推し』ビジネスに私は警鐘を鳴らしておきたいのだ。
推しの魔法から解けたとき、取返しのつかないことになっていないように。